こんにちは、齋藤です。
やる気が出ない時の対処法としてよく用いられるテクニックに、
「作業興奮を利用しよう」
というものがあります。
「作業興奮とはなんぞや?」という方もいるかもしれませんので簡単に説明すると、
人はいったん行動を始めると、やる気が出て簡単に継続できるようにできている。
つまり、やる気があるから行動できるのではなくて行動するからやる気が出る。
だから、やる気が出なくてもとりあえず行動しよう!
というようなことです。
クレペリンという心理学者が発見した心理現象だそうです。
このテクニック、およびマインドについては私も賛成です。
私自身、実際に始める前は面倒に感じても一度始めてしまうことでスイスイ仕事が進むことが多々ありました。
しかしこの作業興奮、体験的に感じたことですが、あらゆる行動で起こるかといえばそうでもありません。
作業興奮を信じてとりあえず始めたは良いけれど、全然気分が乗らなかったということが何度もあります。
作業興奮が起こる時と起こらない時。そこにはどんな違いがあるのでしょうか。
作業興奮のメカニズムのココが疑問
そもそも作業興奮とはどのようなメカニズムで起こるのでしょうか。
多くの場合、以下のようなプロセスで作業興奮は起こると説明されています。
- 手足や頭を使うと脳の側坐核という部分が刺激される
- 側坐核は刺激されるとやる気物質のドーパミンを分泌する
- ドーパミンが分泌されることでやる気が湧いてくる
- やる気が出るので作業がはかどるようになる
大まかにはこんな流れですね。
専門家の書籍を読んでも側坐核はドーパミンを分泌し、またドーパミンはやる気を司るホルモンだと書いてあります。その点は間違いなさそうです。
ただひとつ疑問が湧いてきます。
あらゆる行動はドーパミンによって続けられるようにできているのか。果たしてそれで大丈夫なのかということです。
何が言いたいのかと言いますと、
たとえば、道を歩いていてその先が切り立った崖になっているとしたら、それでも私たちは作業興奮によって歩き続けるでしょうか。
日常的なケースなら、駅のホームで読書を始めたら、電車が来たことに気付いてもそのまま読み続けるでしょうか。
そんなことはあり得ませんよね。崖が見えたらとりあえず止まるか方向転換しますし、電車が来たら本を閉じて乗り込むはずです。
このように、私たちは全ての行動において作業興奮を起こすわけではありません。
状況によって作業興奮が起こる場合と起こらない場合が確実に存在するのです。
作業興奮のメカニズムを深掘り
以上の疑問を解消するために、もう少し作業興奮の仕組みについて考えていきたいと思います。
実は側坐核は、それ単体で機能しているわけではありません。脳の様々な部位と影響し合って、その結果ドーパミンを分泌します。
とりわけ影響を受けやすいとされているのが、
- 記憶を司る海馬
- 好き嫌いや快不快などの感情を司る扁桃体
この2つの脳の部位です。これらの情報を参照してドーパミンが分泌されるかが決まります。
つまり
- 過去の経験から考えて好ましい結果を生じる行動かどうか
- その行動が快をもたらすものかどうか
この2点がドーパミンが分泌されるかどうか、ひいては作業興奮が働くかどうかを決定させるのです。
脳が総合的にその行動はメリットが大きいと判断すれば側坐核が連動して作業興奮を起こしますし、そうでなければ反応しないでしょう。
先ほどの崖に向かって歩く行動を例にしてみると、
- 崖のないところで歩く:移り変わる景色、運動による体内の活性化→快感情→作業興奮あり
- 崖に向かって歩く:崖の周辺にいることの危険性、崖から落ちた時の損傷→深い感情→作業興奮なし
ホームでの読書の例で言えば、
- 電車がいない状況で読書:内容の楽しさ→快感情→作業興奮あり
- 電車が来た時に読書:電車に乗れない→遅れる→不快感情→作業興奮に歯止め
※ただし、読書に大きなメリットがあるなどで強い集中が伴っている場合、電車に気付かず逃す可能性あり
というように分析ができるのでしょうか。
人は、望ましい結果をもたらす行動は継続し、よろしくない結果をもたらす行動についてはストップをかけるようにできているのです。
これらの行動選択を誤ると、自然界では(時には社会でも)死につながります。
生き残っていくための合理的な行動原理を侵してまで作業興奮が起こることはむしろ不自然だと言えるでしょう。
個人の能力も重要な要素
さらに言えば、作業興奮には労力も大きなファクターとして関わってきます。
労力が大きいほどエネルギーが必要な行動となり、デメリットが大きい行動と判断されるからです。
また労力という面で考えれば、作業興奮の起きやすさはその人の能力によるところが多いと考えられます。
能力が高ければその分行動に伴うコストが低く抑えられ、大きいメリットが容易に得られるからです。
たとえば文章を紡ぐにしても、それまでまともに文章を書いたことがない人は何を書くべきか、どのような言葉を選ぶべきかなどつまずく箇所が多いので、結果として作業興奮が起きにくいと予想できます。集中できずに挫折してしまう可能性が高いでしょう。
一方で百戦錬磨のプロライターの場合、一度書き始めてしまえば課題を解決する手法をたくさん持ち合わせており、それらを上手く活用できるスキルが身に付いているので、文章が組み上がっていくというメリットを即座に獲得できるので作業興奮が起きやすいと考えられます。
ですので個人の持つ能力は作業興奮発生の有無に大きく影響すると考えられるのです。
裏を返せば、能力をさほど必要としない行動では、ほとんどの人にとって作業興奮が起きやすいと言えます。
それこそひたすら歩くだとか、漫画のページをめくるだとかですね。
作業興奮が起きやすい行動と起きにくい行動
では、日常ではどのような行動が作業興奮が起きやすく、どのような行動が起きにくいのでしょうか。
作業興奮に必要な2つの条件
上記の考察から考えて、作業興奮が起きるには以下の2条件が必要だと考えられます。
- 行動の最中に一定以上のメリットが伴うこと
- 上記のメリットに見合う労力であること
つまり、行動自体が比較的容易に実行可能で、即時にメリットが獲得できる行動が作業興奮を起こしやすいのです。
一口にメリットといっても様々ですが、
- 五感による感覚的刺激(体温の上昇、空気感、音、手触り)
- ある目的に前進しているという状況、あるいはそれを示す五感的情報
などが挙げられるでしょう。
たとえば運動については、先ほどの例に挙げた景色の移り変わりや身体的刺激。あるいは筋トレなどの場合は蓄積される回数などが考えられます。
デスクワークのような作業では、積み上げられる処理済み書類。ブログ記事や書類の作成では出力されていく文字などがメリットとなるでしょうか。場合によっては作業に伴うキーボードの打鍵音やハンコ押す感覚などもメリットとなるかもしれません。
作業興奮が起きやすい行動
以上の点から考えて作業興奮が起きやすい具体的な行動は以下のような行動だと考えられます。
- ウォーキングやジョギングなどの運動
- 平易な分の読書(漫画を含む)
- 創造性を必要としない事務作業
- 弾き慣れた曲の演奏
ただ、単純すぎるもの、刺激になれてしまったものについては行動自体に快感情が伴いにくいため、行動に何らかの意義が伴っている必要があります。
要するに穴を掘っては埋めるような意味不明の作業ではなく、仕事など実行すべきタスクであるということです(穴を掘るという運動刺激によって作業興奮が起きる可能性がありますが)。
作業興奮が起きにくい行動
また、作業興奮が起きにくいのは以下のような行動でしょう。要するにその人にとって大きな労力やスキルを要するものです。快より不快が上回ってしまうケースですね。
- フォームを強く意識した筋トレ
- 難解な語彙の多い専門書
- ライティングなどの知的活動
- 難しい曲の練習
もちろん、状況によっては難しいタスクであっても作業興奮が起きる可能性があります。
いつもより調子がよくて、体がよく動く、アイデアが湧き出てくる、難しい説明を理解できる、というような場合には行動に対して労力を上回るメリットが伴いますから作業興奮が起きやすくなるでしょう。
作業興奮をコントロールするには
以上、作業興奮の起こる条件について考察してみました。
ここまで考えた結果、作業興奮を起こしやすくするためには以下のような取組みが大切と言えるのではないでしょうか。
- 心身の状態を高く保てるような生活習慣を心がける
- 自分にとって易しいことから始めるようにする
勉強のテクニックとして、「あえて調子が乗っている時に休憩を取るようにする」というものがあります。調子が乗っている課題に関しては、コストが低くメリットが大きい状態になっているわですから、そこから再開することで作業興奮が起きやすくなるわけですね。
もし作業興奮が起こらないような時は、その作業の中でより簡単なタスクを見つけ取り組んでみると良いのではないでしょうか。その簡単なタスクが呼び水となってより難しいタスクを解決するきっかけにもなるかもしれません。
ちなみに私はタイピングが苦手なので、ブログ記事の作成で作業興奮が起こりにくいという悩みがあります。何とか解決したい今日この頃です。