「開けたら閉める」
日本人の大半がこの標語を聞いたことがあると思います。
もし標語番付なるものがあったなら、間違いなく横綱の座に就くような言葉でしょう。
子どもの頃、親御さんや先生に「開けたら閉めなさい!」と注意された方もいるのでは?
いわば常識ともなっているこの「開けたら閉める」という不文律、暗黙の了解。
しかし、これだけ有名な言葉であるにも関わらず、大人でも「開けたら閉める」ができない人はそれなりにいます。
彼らはなぜ開けたら閉めることをしないのか?
- テキトーだから?
- 育ちが悪いから?
- 非常識だから?
- 礼儀を知らないから?
良くも悪くも細かいことは気にしないタイプだから?
ドアの開け閉めに限らず、私達は誰かの行動を評価する時このような「性格」をよく持ち出します。
しかし、行動分析学では人の行動の原因を「性格」にあるとは考えません。
なぜなら「性格」とは単なる行動の言い換えで、行動の真の原因ではないからです。
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行動分析学では、行動の原因を行動の後に起こる環境の変化にあると考えます。
そう考えると「開けたら閉める」ができない理由はシンプルに考えられます。
すなわち
開けることにはメリットが発生するが、閉めることにはメリットが発生しない
これが開けても閉めない理由です。
詳しく説明していきましょう。
ドアを開ける事にメリットはあるが閉めることにはない
まず、私達がドアを開ける理由は基本的に1つです。
ドアの先が、部屋だろうとトイレだろうと外だろうと車内だろうと、とにかくドアの先の空間に立ち入りたいからです。
つまり「ドアを開ける」という行動の後に「その先に行ける」というメリットが発生しているのです。
メリットのある行動は簡単に習慣化します。
だから私たちは当たり前のように、実際に当たり前にドアを開けるのです。
一方、ドアを閉めるという行動には基本的にはメリットが生じません。
ドアを閉めようが閉めまいが、もう部屋の中に入っています。あるいは外に出ています。
ドアを閉める理由が、メリットが見当たらないのです。
メリットがない行動は習慣化しません。
ですので、行動の原理で考えればむしろ「開けたら閉める」という行動はできなくて自然なのです。
よく、犬やら猫などの動物が器用にドアの取っ手をひねって開ける動画がありますよね。
彼らはドアの取ってをひねることでドアが開いて中に入れるということを学習したと思われます。
行きたいところへ行けることはメリットですから、ドアを開ける彼らの行動は習慣化できるでしょう。
しかし、開いているドアを閉める動物の動画は滅多にないと思います。
その理由は彼らの頭が悪いからではありません。ドアを開けることができるのですから。
しかしながらドアを開ける行動とは違い、閉める行動に何のメリットもないのです。
だから動物はいくら賢くても、意図的に芸として覚えさせない限り、基本的にドアを閉めるという行動はしないのです。
人間の行動も根底には同じ原理が流れています。
メリットのある行動は習慣化し、メリットのない行動は習慣化しないのです。
「開けたら閉める」ができる理由
「いやいや待ってよ、大体の人は開けたら閉めるはできてるよ?」
と疑問に思われる方もいるでしょう。OK、解説します。
その理由も行動の原理に当てはめることができます。
繰り返しになりますが、メリットが生じる行動は習慣化しやすいのです。
ですので、開けたら閉める人は、ドアを閉める行動にメリットがあると過去に学習していると考えられるのです。
反対に考えれば、開けても閉めない人は、ドアを閉める行動にメリットがなかったか、デメリットが生じた経験があると考えられます。
どのようなメリットかは様々だと思いますが、一般的と思われる例をいくつか挙げましょう。
最初にも書きましたが、子どもの頃にドアを開けたまましておくと、先生や親御さんに
「こら、開けたら閉めなさい!」
と注意されたことがあるという方は多いと思います。
子どもが大人に注意されるのはとても嫌なものです(私だったら泣きます)。
だから、その後は注意されないようにドアを開けたら閉めるようになります。
このような状況であれば、ドアを閉める行動に意味が生じます。
つまり、私たちはドアを閉めるという行動によって「叱られない」というメリットが発生することを学習するのです。
また、そのように叱られた経験のある方は、大人になっても開けたら閉めるが習慣している可能性が高いです。
叱られた経験があるということは、子どもの頃に「ドアが開いたまま」という状態と「叱られる」という嫌悪的な刺激が同じ状況に存在していたということを意味します。
行動分析学ではこの様な状況を対提示と呼びます。
嫌悪刺激と対提示された刺激や状況は、嫌悪刺激になることがあります。
なので「ドアが開いたまま」という状態そのものが嫌悪刺激になるのです。
だから、例え注意されなくても、ドアが開いているという嫌悪刺激を解消するためにドアを閉めるようになるのです。
「ドアが開いたままだとなんとなく気持ち悪い・・・。」
そのように感じることがある人は、このような行動習慣が形成されてるのかもしれません。
こういったメリットによる「開けたら閉める」の習慣化は他にも考えられます。
たとえば、冬の時季はドアを開けたままにしておくと寒気が入ってきます。
ドアを閉めると寒気が室内に入ってくるのを防ぐことができるので、自然と開けたら閉めるようになります。行動の後にメリットが発生しているからです。
そういう意味では、北国に住んでいる子どもたちは、より簡単に「開けたら閉める」を習慣化できるかもしれません。
反対に、南国に住んでいる人は「開けたら閉める」が習慣化しにくいかもしれません。
家の構造によっては、ドアを閉めると風通しが悪くなって暑くなるからです。
もっと日常的な例えをすると、個室のトイレは必ずドアを閉めますよね?
ドアを閉めることで「周りから見られない」というメリットがあるからです。
ですから、ドアを開けたら閉めない人でも、トイレのドアは高確率で閉めるでしょう。
ただそういう人でも(大体がそういう人でしょうが)、一人暮らしのアパート等ではトイレの際でもドアを開けっ放しにしているかもしれません。
自分しかいないわけですから、ドアを閉めようが閉めまいが誰かに見られる心配は無いからです。閉めるという行動にメリットが発生していないのです。
どうすれば「開けたら閉める」ようになるのか
「開けたら閉めない」ことを問題と感じている人が一番気になるのは、「どうしたら開けたら閉めるようになるのか?」ということだと思います。
方法は基本的には単純です。
ドアを閉めることにメリットを提示すれば良いのです。
しかし、そのメリットが問題です。
食べ物に好き嫌いがあるように、何がメリットとなるのかは人によって様々だからです。
叱られなくなることがメリットとなる人もいれば、そもそも叱られることがデメリットとならない人もいます。
こればかりは、実際にその人を観察して仮説を立てて、実行してみるしかありません。
人の行動を改善するには、その人が何を好み、何を嫌うのかよく知ることが重要となるのです。
※ちなみに「叱る」という行動には一定のリスクが伴います。
詳しくは下記をご参照ください。体罰という極端なものですが「叱る」という行為でもやり方によっては同じ影響を及ぼします。
まとめ
- メリットが生じる行動は習慣化しやすく、生じない行動は習慣化しない
- 「開ける」行動はメリットがあるが、「閉める」行動にはメリットがない。従って「開けたら閉める」は習慣化しにくい。
- 「開けたら閉める」ようにするには「閉める」ことにメリット提示することが必要。
行動の原理のもとで培われた行動は、時に社会常識とは相反する習慣を形成します。
しかし、それはその人が本質的に「非常識」や「不作法」だからではありません。
その人が生きていく上で、環境に適応するために合理的に行動してきた結果なのです。
ですから、過去の学習で形成された問題行動であっても、現在の環境を調整してあげることで社会に適合した行動習慣に変えていけるのです。